合衆国海兵隊の真実
〜あるいは史上最強であることの困惑〜
白石 光 (戦史研究家)

 そもそも"海兵隊"は海軍の一部門として創設された戦力である。昔、船舶だけが国際的な輸送手段だった頃、植民地などの外地で暴動や反乱が勃発した際、最寄りの海軍軍艦が余剰将兵を抽出して拳銃や小銃といった地上戦用兵器を持たせ、自国居留民や自国資産の保護を始めとした各種陸上軍事行動を行わせたのがその起源である。ゆえに海兵隊そのものは世界の多くの国々に存在する。ただし名称は一部の国で異なっており、旧ソ連では"海軍歩兵"、旧日本帝国では"陸戦隊"などと称していた。このように、敵地に真っ先に乗り込んで行くというその性格上、海兵隊は敵が絶対的多数の状況下での戦闘を余儀なくされることも多い。したがって、どこの国でも海兵隊は最精強であることを要求された。英国のロイヤルマリーン(王立海兵隊)は後に世界の特殊部隊の始祖となったコマンドの母体となり、我が陸戦隊も満州事変や太平洋戦争中の南方戦線でその勇戦ぶりが讃えられた。また、韓国海兵隊はベトナム戦争で敢闘したし、第二次大戦中、弱兵揃いのファシスト・イタリア軍にあって海兵隊(サンマルコ)だけは違った。さらにフランスやオランダの海兵隊も精鋭の誉れ高い。

 今日、海兵隊は、国によって、その所属が異なっている。もちろん、伝統的に海軍の一部門であることが圧倒的に多いが、陸軍の一部門にされているケースも散見される。そんな中、極端な進化をとげたのが本編の主役(!?)でもある合衆国海兵隊−U.S.Marine Corps−だ。その精強、勇猛に加えて装備の充実ぶりから米海兵隊は間違いなく世界最強の軍事組織のひとつだが、これもまた海軍を母体として生まれた。ただ、米海兵隊は幾多の戦歴を通じて成長を遂げ、今日、米国では自国の軍隊を四軍即ち、陸、海、空と海兵隊とに区別するのが普通となっている。

 米国では、今でこそ、徴兵制が廃止されたとはいえ、それがまだ生きていた時代からずっと、海兵隊への入隊は志願制とされてきた。肉体的な訓練が極めて厳しいばかりでなく、精神面でも祖国への忠誠、上官への絶対服従、規律の維持等に加えて、何よりも海兵隊そのものへの忠誠心を叩き込まれる。この教育期間中に、自らが"万能無敵の海兵(マリーン)"であるという意識を徹底的に仕込まれるのだ。もっとも、将校以外の兵士のレベルでの海兵隊員は、決して教養があるともいい難い部分もある。下層階級の出身で、一歩間違えばストリートギャングにでもなりかねなかった若者がひょんなことで海兵隊に入隊したからこそ、かろうじて規律や威厳といったことを理解したというケースも多いらしい。事実、「マリーンにはガッツと金玉(失礼!!)だけあれば後はなにもいらない」とうそぶく訓練教官もいるほどだという。

 逆に、伝統的な米国の愛国(タカ派)中流家庭に育った若者たちも、親や海兵隊出の先輩などの薦めで海兵隊に入隊することも度々で、そのため、海兵隊兵舎内には、いってみれば"古き良きアメリカ"のモラルと"尋常一様ではない凶暴性"が同居しているともいえる。そんなわけなので、アメリカ社会ではマリーンは一種蛮カラなマッチョイズムの偶像と見做され、良しにつけ悪しきにつけ特別な見方をされることが多い。新聞の見出しでも、たとえ現役隊員でなくても『お手柄、もと海兵隊員人命救助』などと書かれる反面、『元マリーン、酔って路上でケンカ殺人』というふうに、善悪どちらの場合でもでかでかとかかれてしまうといったらわかりやすいだろうか。特にインテリ層やリベラル派にとっては、"国家に統制された暴力であり時々タガが外れる"マリーンは目の仇のようだ。ところがこと有事となると、一斑民衆は、"我が勇猛なる海兵隊"に大いに期待するという具合に、アメリカ社会においてさえ、その評価に、矛盾が生じている。事実、ケネディを射った男で知られるオズワルト、そしてテキサスタワー乱射事件の犯人は共に海兵隊出身だが、このことを海兵隊の新兵射撃教官は必ず引き合いに出すそうだ。ただし、その反社会的行為を問いただすためではなく、射撃技量の優秀さを褒めるためではあるのだが。

 彼ら海兵隊員のモットーは"Semper Fidelis(センパーフィデリス)"。口語では略して"センパーフィー"とも言われ、本編中でも何度も海兵隊員たちのかけ声として、また、マイケル・ビーン扮するSEAL隊長アンダーソン中佐が銃を構えた海兵隊員を説得しようと試みた際にも使われた。言葉の意味は、"忠誠たれ"。このモットーからも明らかのように、海兵隊員の多くは、海兵隊をひとつの大きな兄弟、あるいは家族として見做している。自前の砲兵隊に戦車隊、はては攻撃ヘリから戦闘機や攻撃機の飛行隊まで有する米海兵隊は、海兵隊員をして「どうせ掩護をしてもらうなら自前の飛行機(あるいは戦車、砲兵で)たのむぜ」と言わしめるほど、相互の信頼関係が厚い。ちなみに、後半でテルミット・プラズマを搭載して、ザ・ロックの爆撃に向かったF/A18戦闘攻撃機も、"VFMA"の表記からわかるように海兵戦闘攻撃飛行隊所属機だった。これなど、さながら自分の不始末は自分でつけるといったところであろう。

 というわけで、こういった背景を理解すればエド・ハリス扮するハメル准将の憤りもより現実感のあるものとなる。重要特殊任務だからこそ精鋭の海兵隊員が充てられ、重要特殊任務だからこそ戦死者の遺族にも満足にその実状を知らせられず、また、補償も充分に行えないことに対する忿懣。その重要特殊任務を陣頭で指揮し続けてきたエリート指揮官としては、自分の"兄弟"が"親"である合衆国政府から不当な仕打ちを繰り返されてきたように思えていたはずだ。しかし、"兄弟"のために立ち上がった彼は、結局"親"を殺すことはできなかった。軍における准将といえばバリバリのやりてが若くして手に入れられる"ビリッ尻"のもっとも下位のの将官の"星"であると同時に、とりあえず"星"は手に入れたものの、それを増やせない者の墓場ともいえる階級である。ハメル准将の場合はあきらかに前者であるが、前者だからこそ、上からの圧力と下からの無言の抗議に居たたまれなくなって行動に及んだことは想像に難くない。これもまた中間管理職の悲劇なのだろうが、その原動力はあくまで"義侠心"であったというわけで、今もMIA(=戦闘中行方不明者、未帰還軍人)問題が根強く残るアメリカでは、本編では敵役にもかかわらず、彼の心情も決して理解されないものではないといえる。

 一方で、自らのブラッフが通じなかったことで潔く諦めたハメル准将と射ち合った欲得ずくの海兵隊員たちもまた、前述した海兵隊員構成人員の出身階層からみる限り、資本主義がとことんまで突き詰められたアメリカ社会ゆえにありえない話ではない。結局、軍人としての最終的なモラルは個人の資質と意識に支えられるものなのである。

 さて、ハメル准将が率いていたのは精強たる米海兵隊の、そのまたはえ抜きである海兵偵察隊(フォース・リコン)からの抽出将兵であったが、対するSEALもまた海軍の精鋭特殊部隊である。SEALはその母体と範を、水中処分隊と呼ばれる水中での破壊作業を専門とするダイバー主体の部隊と海兵隊に求めた。つまるところ、海兵隊が海軍からの独立色を濃くしたがゆえに創設された、海兵偵察隊にとっては"従兄"のような部隊ともいえる。しかも両者は、ベトナム、パナマ、グラダナ、そして湾岸で、ともに同じような任務やレンジャー、デルタフォースをも加えたこれら特殊部隊というものは、所属こそ違え同じ土俵にいる"エリート兄弟"的意識を持つと同時に、お互いがよきライバルでもあるという関係にある。だからこそ、義侠心の強いハメル准将はいっそうSEALとは銃火を交えたくなかったのである。と同時に、アンダーソン中佐もまた、武勲輝く伝説の軍人であるハメル准将の取った行動の意味はわかりつつも、自ら軍人としての高いモラルにしたがって投降を拒否し続けざるを得なかった。残念なことにあんな偶発事故が起きてしまったが、もしこの部分が現実の話だとすると、ハメル准将の経歴と人望を加味すれば、アンダーソン中佐のメンツが潰れない形で何らかの方便を講じることにより、最悪の流血だけは避けられた場面かもしれない。

 また、ショーン・コネリーは元SAS(スペシャル・エア・サービス=航空勤務特殊部隊)隊員という設定だが、これもまた英国が誇る特殊部隊である。SASは第二次大戦中、ドイツのロンメル准将が猛威をふるっていた北アフリカ戦線で、敵の飛行場を奇襲する部隊として設立されたが、後に総合的な特殊部隊に発展したものだ。

 紙枚の都合上、とてもおもうところのすべてを記すわけにはいかなかったが、米海兵隊に興味のある方はジョン・ウェイン主演『硫黄島の砂』、クリント・イーストウッド主演『ハートブレイクリッジ』、最近作では『フルメタルジャケット』や『7月4日に生まれて』、また、SEALに興味のある方はマイケル・ビーン、チャーリー・シーン主演『ネイビイシールズ』を、本編をご覧になった後に見てはいかがだろうか。きっとよい参考になるはずである。


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