忍び寄る姿なき恐怖、そして抗する男たち
〜毒ガスと特殊部隊に関するノート〜

スティーヴン・セーガルとカート・ラッセル。
性格はまったく異なるものの、
どちらも"男"の
二人のハードなアクションを楽しんだら、
これまたハードな"本当の話"に
ちょっとお付き合い願おう。

戦史研究家 白石 光

最強の男たち・特殊部隊の伝説
 スティーヴン・セーガル扮するトラヴィス中佐とその部下たちの戦闘服の肩には、きっさきを上に垂直に立てた剣に三本の稲妻が交差した記章が誇らしげに付けられていた。これこそアメリカが世界に誇る最強の特殊部隊、グリンベレーの記章である。剣は第二次大戦中にカナダ軍と合同で創設したアメリカ初の特殊部隊である第一特殊任務旅団、別名"悪魔旅団"の記章の一部に由来し、また三本の稲妻は特殊部隊の三つの敵地進入経路、即ち空、海、陸をそれぞれ表したものだという。

 前述したように、アメリカは初の本格的な特殊部隊として1942年7月9日、カナダ軍と合同で第一特殊任務旅団を創設した。一方、それと平行してやはり1942年にもうひとつの特殊部隊であるレンジャーも創設されている。加えて太平洋戦域のビルマ戦線では、フランク・メリル大佐麾下の第5307混成旅団、別名"メリルズ・マローダーズ(メリルの襲撃隊)"と呼ばれるジャングル襲撃戦専門の特殊部隊も創設された。また、ウィリアム・ドノバン大佐を長としたOSSも第二次大戦中に不正規戦闘(敵地隠密潜入を伴う情報収集や破壊・妨害工作のこと)を目的として創設されたが、この部局の任務の多くが後にグリンベレーの主な任務となっただけでなく、今日のCIAのルーツともなっている。

 これらの部隊はいずれも第二次大戦で目覚ましい活躍を示した跡、終戦にともなっていったんは解隊された。しかし朝鮮動乱の勃発によりレンジャーは復活し、以来、今日まで活動は続いている。これと同時期の1952年、ノースカロライナ州フォート・ブラッグ陸軍基地において第10特殊任務部隊が創設された。この部隊は国連パルチザン韓国駐留歩兵部隊の名で知られる、敵戦線の後方攪乱を目的としたゲリラ部隊の一部として1952年から1953年にかけて活躍したが、これがグリンベレーのごく初期の姿である。その後、戦術したレンジャーやメリルの襲撃隊、それにOSSの性格をも併せ持つ、いわば総合的な特殊部隊として成長を遂げてゆく。

 グリンベレー入隊資格の取得はきわめて厳しい。まず、五年以上の軍歴を有し、しかも勤務成績が優秀であることが最低の受験条件となる。続く身体検査と体力測定は異常ともいえるもので、懸垂や腕立て伏せ、腹筋などは、とても人間技とは思えない回数をこなさなければ合格できない。さらに明晰な頭脳をも要求され、最低での二ヶ国語に堪能でなければならないのである。このように"試練の門"はきわめて狭く、合格率はやっと10パーセント前後だそうだ。

 入隊資格を得た後も試練は続く。落下傘降下、徒手格闘や敵側のものも含めた多種類の武器使用、破壊活動など、グリンベレーとしての基礎的な直接戦闘訓練に加えて、通信、情報、医療など、専門分野の訓練も受けねばならない。しかも、通常グリンベレー部隊は少人数で行動することから、一人の専門分野はひとつではなく二つ以上の複数であることが求められている。戦死傷者が生じた場合、その人物の専門分野に穴が空くことを避けねばならないからだ。

 こうした過酷な訓練を経て一人前になることから、グリンベレー隊員の規律と士気、そして祖国に対する忠誠心は非常に高い。と同時に、全員が特殊専門技能を身につけているため隊員の最低階級は軍曹であり、それ以下の階級の兵士、例えば上等兵のグリンベレー隊員などというのは存在しない。また、他の多くの特殊部隊とは異なり、グリンベレーはただ単に肉体的にタフなだけの"ゴリラ"集団ではなく、肉体、頭脳共に卓越した"エリート"集団であるため、友好的な現地人や友好国現地部隊の指導・訓練にあたるのが主任務であり、直接戦闘行動に従事する機会は実際にはあまり多くない。

 ところで、故・ケネディ大統領を抜きにしてグリンベレーを語るわけにはいかないだろう。グリンベレーが創設された当初、まだこの名では呼ばれていなかった頃、何か精鋭特殊部隊に相応しいシンボルをという気運が部隊側にあった。そこでイギリスの特殊部隊コマンドに範を取り、あくまで非公式にだが、隊員達はグリーンのベレーをかぶるようになったのである。これを部隊外の一部の高級将校たちが咎め、その着用を禁止しようと画策した。しかし同時期、フォート・ブラッグを訪問したケネディ大統領は特殊部隊の訓練にいたく感銘を受け、後に指揮官に対して、彼らがかぶっているグリーンのベレーこそが卓越の象徴として相応しいとの感想を述べたのだった。こうして、全軍の最高司令官たる大統領のお墨付きをもらったことで、いったんは廃止されかかったグリーンのベレーは改めてこの特殊部隊のシンボルとして公認された。そして部隊そのものもずばり"グリンベレー"の名で呼ばれるようになったのである。

 こんなグリンベレーが本格的な実戦参加をはたしたのがベトナム戦争で、そのごく初期から関与していた。だが、例えばグリンベレー単独で中隊規模以上の大型の戦闘部隊を編成し、全面的な戦闘行動を実施するというようなケースはごく稀で、主な任務は、友好国への軍事顧問として、あるいは、民間不正規防衛計画と名付けられた現地人戦闘員指導のために、小部隊でベトナム各地に派遣されたのである。そして、現地兵を率いて鬱蒼たるジャングルをかきわけて長距離隠密偵察任務を遂行したり、北ベトナム側でも南ベトナム側でもない山間部の集落を宣撫して味方に引き入れたりと、派手ではないが一歩間違えれば命を落としかねない苛烈な任務に就いた。

 ベトナムでグリンベレーが実施した数少ない大人数編成部隊での作戦が、本編のような救出作戦、ソンタイ捕虜収容所の襲撃である。残念ながらこのときは作戦直前になって捕虜が別の場所に移送されていたため救出は成らなかったが、味方はほとんど被害を蒙ることなく敵に大損害を与えた作戦となった。

 その後、グリンベレーはアメリカが介入したほとんどすべての軍事行動に必ずといっていいほど参加しており、先の湾岸戦争では、イラク領内に潜入して情報収集・偵察任務にあたった。

 というわけで、グリンベレーの名があまりに有名になった今日、エンターテインメントの世界では題材として少々飽きられたきらいがあり、代わってデルタフォースやSEALがもてはやされているようだ。しかし、グリンベレーこそがアメリカの正当派特殊部隊(?)として、"最強の男たち"と呼ぶに相応しいと思うのは、あながち筆者ばかりではないだろう。なお、本編を見てグリンベレーに興味を持たれた方は、その比較的正しい姿を伝える映画としてジョン・ウェインの『グリーン・ベレ』とダニー・グローバーの『ダンボドロップ大作戦』をご覧になることをお薦めする。


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